また新潟に逆戻りになりました。
東京発の新幹線から見える秋葉原のガラス張りのビルを眺めながら、感慨深い気持ちになりました。
昨日の21時まではあのビルの中にいたのにね、って。
変な気分だなあ。
東京での勤務は最初は何もかも手探りで、
社会人らしい生活も仕事も初めてで、
ついでに仕事内容は前任者がいないようなものなので
誰か(先輩など)に聞いて過去のデータがあって動くのではなく、
なにもかもイチからで、すべてが模索の日々でした。
とにかくネットで予備知識をつけ、前例がないので諸々アタックする日々。
最初は上手くいかずにかなり落ち込んだし、
仕事内容自体も嫌いだし、それを任されるような自分も大嫌いでした。
そもそも人事と総務は会社の出来損ないが行くところと聞いたことがあったので、
が、次第になんとか形になり、やってこれたと思います。
いっぱい数字記録とルールをつくってきた年でした。
私は基本的に、自分は人間世界の底辺にいて、ド底辺の人々よりマシに社会に溶け込もうとスーツ着てまぎれこんでいるだけで、蓑一枚剥がしたらド底辺の人々となにもかわらないような、社会的に価値のない人間だと思っています。
卑下しているというか、単純に自分に自信がないから、人に顔向けできるような人間ではないと思ってます。
それでも異動を繰り返し、その度に自分でも成長したと思うし、周りからもその度言われたりして(どんだけ前がクズかったんだって話ですが)。
今回東京で前の仕事先と違ったことは、まわりの目上の方に最高に恵まれたことだと思います。
今回の職場は今までと違い、
会社の明らかに上層部の方にお世話になることが多かったのですが、
皆さんなんだかんだ性格で個性が出つつも(笑)
すごく尊敬できたし、たくさん面倒を見てもらいました。
こういう人が上に上がる人?なんだろうな、と思わずにはおれない、頭が上がらない方々となりました。
前の上司は自分の父親との仲と同じで、
相手に一杯怒られて、
でもこっちも一杯言いたい不満抱えてて、
でも解消もうまくぶつける事もできなくて、尊敬もできないしぶっちゃけ大嫌いでした。
そういうのをうまく折り合いをつけられるのが大人なんだと思います。
私はあの時それが出来ないお子様だったし、ご本人の性格もありますが、当然相手も一切私を育てる気なんかなかったと思います。
だからこそ、こっちから自然に頭が下がるような方々に会えて本当に良かったと思うんです。
私はお金を出してくれてここまで育てくれた父親に対し、感謝こそすれど尊敬はたぶんしてません。
ああはなりたくないと思っている部分があって、私は父に怒られているとき、いつも生意気にも お前は人のことを怒れるような人間か!?と思っていました。
自分の認めてない人間からの説教は、なんて理不尽なんだろうと思ってました。今もあまり変わりませんがダメな仔でした。
まあそんな子だったので、素直に尊敬できる年上の方を見つけて、いっぱい面倒見てもらって、大変良い機会をもらったものだと思います。
大層な夢や目標は持てませんが、また成長できるよう異動先でも頑張ろうと思いました マル